好きだったのに離れた『龍が如く』 7でハマり、8で距離を置いた理由

はじめに

今回は、少し書くのを迷ったテーマです。

好きだったのに、離れてしまったコンテンツについて書きます。

タイトルにしている通り、今回のテーマは『龍が如く』シリーズです。

私はシリーズの古参ファンではありません。

7から入り、そのシナリオの面白さに強く惹かれ、0と8をプレイして一気にファンになりました。

だからこそ、8を遊んだあとに感じた違和感を、どう言葉にすればいいのか少し悩みました。

ただ、「嫌いになったから書く」のではありません。

好きだったからこそ、距離を置いたその感覚を、同じように感じている人もいるのではないかと思い、今回記事にします。


『龍が如く7』で一気にファンになった理由

『龍が如く7 光と闇の行方』は、私にとってかなり特別な一本でした。

それまでのシリーズの知識がほぼない状態でも、主人公・春日一番の人物像がとても分かりやすく、感情移入しやすかったのを覚えています。

特に印象的だったのは、

  • 仲間との関係性
  • 不器用だけどまっすぐな価値観
  • 笑いとシリアスのバランス

このあたりが非常に心地よかった点です。

RPGというシステムも、「戦う理由」が物語としっかり結びついていて、暴力的な表現が前面に出すぎない工夫を感じました。

だからこそ、最後まで気持ちよくプレイできたのだと思います。

この体験があったからこそ、「龍が如く」というシリーズに強い期待を持つようになりました。


『龍が如く8』で感じた違和感

8をプレイして最初に感じたのは、決して出来が悪いわけではないということです。

ボリュームもあり、作り込みも相変わらず丁寧で、シリーズファンが喜ぶ要素も多い作品だと思います。

ただ、私自身はプレイを進めるにつれて、少しずつ引っかかりを感じるようになりました。

シナリオが凡庸に感じてしまった理由

7のシナリオが個人的に刺さりすぎた、という前提はあります。

8では、物語の展開や感情の動かし方が不自然に感じてしまい、ストーリーに入り込みにくかったです。

豪華なオールキャラ二次創作の同人誌を読んでいるような感覚でした。

7の感動的なシナリオ体験を経たあとだと、どうしても物足りなさを感じてしまいました。

共感しづらくなった会話やノリ

もう一つ大きかったのが、キャラクター同士の会話や笑いのテンポです。

以前は楽しめていたはずのやり取りが、今回はどこか遠く感じました。

これは作品の質というより、自分の感覚とのズレに近いものだと思っています。


「おじさん臭さ」を感じた正体

正直に言うと、8をプレイしていて「おじさん臭いな」と感じる場面がありました。

ただ、これは年齢の話ではありません。

私が感じたのは、

  • 価値観の描かれ方
  • 感情表現の方向性
  • 笑いどころの作り方

こうした部分が、少し昔ながらの大人像に寄っているように感じた、という点です。

それ自体が悪いわけではありませんし、むしろそこに安心感を覚える人も多いと思います。

ただ、私自身はここ数年で、

  • 暴力的な表現
  • 力で解決する物語構造

こうしたものに対して、以前よりもしんどさを感じるようになっていました。

『龍が如く8』は、その変化をはっきりと自覚させられる作品だったのだと思います。


好きだったからこそ、距離を置いた

今回の記事で一番伝えたいのは、ここです。

私は『龍が如く』を嫌いになったわけではありません。

むしろ、7で強く心を掴まれたからこそ、8で感じた違和感を無視できなかった、という方が近いです。

今もこのシリーズを心から楽しんでいる人を否定する気は全くありませんし、「自分には合わなくなった」というだけの話です。

趣味は、年齢や環境、気持ちの変化で少しずつ変わっていくものだと思っています。


まとめ|離れることは、嫌いになることではない

『龍が如く』は、今も多くのファンに愛されているシリーズです。

だからこそ、離れたと感じた自分の感覚に、最初は戸惑いもありました。

でも今は、

  • 好きだった
  • 楽しかった
  • だから一度距離を置く

それも一つの健全な選択だと思っています。

またいつか、別の作品やタイミングで戻る日が来るかもしれません。

今回は、そんな「好きだったのに離れた」という感覚を、正直に書いてみました。

同じような気持ちを抱いた人の、少しでも気持ちが軽くなれば嬉しいです。